69話. 海底二万里の海2012/01/22 18:39

不覚にもインフルエンザをもらってしまった。症状はさして重症にはならず、しかもタミフルの威力であっという間に平常の体調にもどってしまったのだが、平熱にもどって2日間は感染防止のために外出禁止だから、ずいぶんとのんびりとした時間を過ごすことができた。この機を利用して、読みかけだった海底2万里を一気に読んでしまった。

ジュールヴェルヌの海底2万里。子供の頃、小学校の学級文庫にあった児童書を読んで以来だ。大人になってあらためて読んでみると、ネモ艦長の謎の苦悩など、ずいぶんと奥が深い物語だ。なにはともあれ、次から次へと海の中の生物や風景の説明が展開され、さながら博物館の中に居るような気分になって、なかなか楽しいものである。

さて、海の中の風景の描写。水中の森に散歩にいく場面だったと思うが、水があまりにも澄んでいるので、ある海底の地点から100m先の海底の風景が明るくはっきりと見えるという記述がある。ここに関しては、ん?と思うのである。水の分子は光を吸収する。光が水を通る時、微粒子などの散乱が無かったとしても、光は減衰する。100m進めば、赤や紫外光の透過率は限りなく0に近い。もっとも吸収の小さい青色の光も、100mの距離では10%程度となってしまう。だから、実際にはヴェルヌの想像とは異なって、どんなにきれいな海でも100m先の風景は青黒くはっきりしないものになってしまうのだ。

もうひとつ。海底深く潜っていくと、どんどん暗くなり、最後には暗い赤い光しか残らないという記述がある。このあたり、ヴェルヌは夕暮れの経験をもとに想像を働かせたのかなと勘繰ってみるのだがどうだろうか。この小説が出たおよそ30年後、1922年に、レイリー卿が、水が青いのは水分子のレイリー散乱によるものだという論文を発表した。この理論が正しければ、散乱されない赤い光がより水の中深くまで差し込むことになるから、ヴェルヌの記述も正しく、驚くべき先見の明があったことになる。しかし、残念ながら、現在では、レイリー卿の理論は間違っていて、水の青さは光吸収によるものであることがわかっている。そして、赤い光が先に吸収されてしまい、青い光が最後まで残るのだ。海を深く潜れば、だんだんと青い世界になり、そして最後は真っ暗になってしまうのだ。もしも、勉強家のヴェルヌが今でも生きていたら、海の風景はきっと物理的に正しい描写に書き変えていたのだろうな。

なんてことは、この小説にとっては取るに足りぬものであって、その発想、スケール、読み終わった後の、「長い旅を終えたあとの心地よい疲労感」など、なかなか充実したものなのだ。海だってレイリー卿が唱えた散乱に満ちた海のままにしておけば、それはそれで別のおもしろい想像力が働くから、そのままでいいのだ。児童小説と、なかば馬鹿にしていたのだが、そんなものではなかったのである。まあ、今さらではあるが、こんな再発見ができたのだから、インフルエンザも悪くはない。

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