79話. アスファルト -黒い舗装と灰色の舗装- ― 2012/07/16 11:54
小さいころは、“普通の”灰色の舗装道路と、黒いアスファルト舗装の道路は別物だと思っていた。でも、もう少し記憶の時間単位が長くなる年頃になって、ふかふかとして、きりりと黒いアスファルトが、月日を経ることで何の変哲もない灰色の舗装道路に変わり果てていくことに気が付いた。その見かけの印象があまりにも異なるので、いつ、そして何故それほどまでに色が変わるのか、ずっと疑問に思っていた。
アスファルト(土瀝青)は、原油に含まれる成分であり、炭素系の油や樹脂に、やはり炭素系の高分子がコロイド状に分散している物質のことだ。炭素系の物質で、広帯域の光を充分に吸収するため、色は黒い。何かで見たデータによると、たしかに反射スペクトルは可視全域にわたって極めて低い。粘度が高いアスファルトに、骨材として砂利や砂を混ぜたものを敷き詰めたのがアスファルト舗装だ。実際には、道路の強度を出すために、いくつかの添加剤もはいっているらしい。高温では柔らかいアスファルトが常温になるとすぐに硬くなるから、工事に使いやすいのだ。砂利や砂は、特別に集めない限りさまざまな色が混ざり、一見、灰色である。だから、アスファルト舗装の黒は、砂利や砂ではなく、アスファルトの色と言ってよいだろう。問題は、なぜこの黒が灰色に変ってしまうかということだ。
僕は長い間、アスファルト舗装の変色の原因は、表面に付着した塵や砂粒によるものだと思っていた。道路そのものは黒いのだが、表面の塵や砂粒が一部の光を散乱するため、白けて見えるということだ。それが証拠に、新しいアスファルト舗装の道路でも、工事現場の出入口などではタイヤの塵が転写された轍のあとが白っぽくみえるではないか。
ついこのあいだ、この表面塵説を確かめるために、自宅前の、すっかりと灰色に変わってしまった舗装道路を、水とデッキブラシで念入り洗ってみた。表面成分をきれいに流してしまえば、ふたたび黒く締ったアスファルト舗装の色が現われるだろうと期待したのである。しかし、水が乾いた後の路面は、なんと、デッキブラシでこすった部分のほうが、より白けた色になっていたのである。長い間、勝手に思い込んでいた、表面塵説は舗装直後に関しては正しいが、経年による変化に対してはどうもあてはまらないようだ。
その後、新しい舗装と古い舗装をことあるたびに観察しているうち、あることに気が付いた。新しい舗装は表面が滑らかで、アスファルトがしっかりと全体にからんでいる感じである。それに対し、古い舗装では、混ぜられていた小石が直接露出して、でこぼこしている。小石のひとつひとつは単色ではないが、それを遠くから見れば複数の色が入り混じって濁った灰色となる。どうも、最表層のアスファルトが無くなり、骨材である小石や砂利の色が見えてくるのがアスファルト舗装の経年による変色の原因のようだ。アスファルトが無くなっていく原因は、通行する車のタイヤで削り取られるとか、風雨で削り取られるとか、いくつかあるのだろう。たまたま犬の散歩の途中でみかけた剥ぎ取ったばかりのアスファルト舗装のかけらをよく見たら、内部の断面は黒いままで、それまで露出していた表面のみ、色が変わっていて、そしてその部分のみ小石がはっきりと観察されたから、たぶん表面アスファスト削り取られ説は正しいだろう。ちなみに、デッキブラシでこする実験では、表面に露出する小石の表面のわずかに残っていたアスファルトを取り除いてしまったことで、その部分の黒がより薄くなってしまったと考えられる。
ところで、アスファルト舗装の寿命は使用状況にもよるが、だいたい10年程度とのことだ。古くなったアスファルト舗装は新しく敷きなおされ、ふたたび黒くなって蘇る。僕のゴマ塩となってしまった髪も、ふたたび黒々としたものに交換できないかと思ってしまうが、それは度台無理なことであることは言うまでも無い。
アスファルト(土瀝青)は、原油に含まれる成分であり、炭素系の油や樹脂に、やはり炭素系の高分子がコロイド状に分散している物質のことだ。炭素系の物質で、広帯域の光を充分に吸収するため、色は黒い。何かで見たデータによると、たしかに反射スペクトルは可視全域にわたって極めて低い。粘度が高いアスファルトに、骨材として砂利や砂を混ぜたものを敷き詰めたのがアスファルト舗装だ。実際には、道路の強度を出すために、いくつかの添加剤もはいっているらしい。高温では柔らかいアスファルトが常温になるとすぐに硬くなるから、工事に使いやすいのだ。砂利や砂は、特別に集めない限りさまざまな色が混ざり、一見、灰色である。だから、アスファルト舗装の黒は、砂利や砂ではなく、アスファルトの色と言ってよいだろう。問題は、なぜこの黒が灰色に変ってしまうかということだ。
僕は長い間、アスファルト舗装の変色の原因は、表面に付着した塵や砂粒によるものだと思っていた。道路そのものは黒いのだが、表面の塵や砂粒が一部の光を散乱するため、白けて見えるということだ。それが証拠に、新しいアスファルト舗装の道路でも、工事現場の出入口などではタイヤの塵が転写された轍のあとが白っぽくみえるではないか。
ついこのあいだ、この表面塵説を確かめるために、自宅前の、すっかりと灰色に変わってしまった舗装道路を、水とデッキブラシで念入り洗ってみた。表面成分をきれいに流してしまえば、ふたたび黒く締ったアスファルト舗装の色が現われるだろうと期待したのである。しかし、水が乾いた後の路面は、なんと、デッキブラシでこすった部分のほうが、より白けた色になっていたのである。長い間、勝手に思い込んでいた、表面塵説は舗装直後に関しては正しいが、経年による変化に対してはどうもあてはまらないようだ。
その後、新しい舗装と古い舗装をことあるたびに観察しているうち、あることに気が付いた。新しい舗装は表面が滑らかで、アスファルトがしっかりと全体にからんでいる感じである。それに対し、古い舗装では、混ぜられていた小石が直接露出して、でこぼこしている。小石のひとつひとつは単色ではないが、それを遠くから見れば複数の色が入り混じって濁った灰色となる。どうも、最表層のアスファルトが無くなり、骨材である小石や砂利の色が見えてくるのがアスファルト舗装の経年による変色の原因のようだ。アスファルトが無くなっていく原因は、通行する車のタイヤで削り取られるとか、風雨で削り取られるとか、いくつかあるのだろう。たまたま犬の散歩の途中でみかけた剥ぎ取ったばかりのアスファルト舗装のかけらをよく見たら、内部の断面は黒いままで、それまで露出していた表面のみ、色が変わっていて、そしてその部分のみ小石がはっきりと観察されたから、たぶん表面アスファスト削り取られ説は正しいだろう。ちなみに、デッキブラシでこする実験では、表面に露出する小石の表面のわずかに残っていたアスファルトを取り除いてしまったことで、その部分の黒がより薄くなってしまったと考えられる。
ところで、アスファルト舗装の寿命は使用状況にもよるが、だいたい10年程度とのことだ。古くなったアスファルト舗装は新しく敷きなおされ、ふたたび黒くなって蘇る。僕のゴマ塩となってしまった髪も、ふたたび黒々としたものに交換できないかと思ってしまうが、それは度台無理なことであることは言うまでも無い。