83話. 壮大なるレースのカーテン2012/10/21 20:37

9月中旬の朝、日本には、台風が近づきつつあった。僕は、南予・宇和島市のホテルの窓から外を眺めていた。港に近いそのホテルの窓からは、宇和島市の東側にそびえ立つ1000m級の山並みを見ることができる。それらの山にかかる雲を観察しながら、僕はその日の行動を考えていたのだ。
空は全体が曇っていて、山の南側から頂上を舐めるように、次々と雲が流れ込んでくるのが見える。それらの雲の下あたりは雨が降っているのか、山の斜面の一部は、薄いレースのカーテンがかかっているかのように煙っている。予報通り、天気は悪化に向かっているようだ。その日の夕刻には松山から飛行機で羽田に帰る予定になのだが、早々に宇和島を引き上げ、松山に向かう決心をした。

荷物をまとめながら空を眺めていると、一瞬、東側の空に雲の隙間が生じ、そこから日が射しこんだ。光芒は山の斜面を霞ませているにも射しこんでいる。先ほどまでは、うっすらと見えていた山の斜面は、白いベールで遮られていてまったく見えなくなってしまった。雨粒が太陽光を強く散乱しているのだろう。それにしても、山の斜面で反射して、雨の一帯を透過してくる光の量は変わらないわけだから、目を凝らしてみれば、おぼろげにでも斜面の形が見えもよさそうなものだが、それは全く見えない。

ウェーバー則によれば、人間の感覚として、光強度の差を見分けられるのは、光量の絶対値に関係なく、基準の光強度に対して2%程度以上の変化があったときだ。曇り空のもとでは、雲を抜けてきた光が雨に散乱されて目に届く強度をIcとして、山の斜面で反射された光が雨の一帯を透過してくる光の強度をImとすると、Im/Icは0.02以上、すなわち、2%を大きく超えているに違いない。だから、山の斜面は霞んでいてもしっかりと見える。これに対し、太陽の光が雨の一帯に射しこんだとき、太陽光が雨によって散乱される強度をIsとすると、山の斜面からの光Imは変わらないのにIsがきわめて大きくなるため、Im/Isは限りなく0に近づいているに違いない。人間の感覚が明るい太陽光のほうを基準にダイナミックレンジを調整した結果、山の斜面から反射してくる光は判別不能になってしまうのだ。

同じようなことを、日常生活でも見つけることができる。レースのカーテンを通して、室内から日蔭の風景を見ることができる。しかし、カーテンに朝日が射しこむと、カーテンが白く光、向こうの日蔭の風景は全く見えなくなってしまう。日蔭の風景の光がレースのカーテンを透過してくる強さは変わらぬ筈なのに。

まったく、視感覚というものは厄介なものだ。だって、刺激の強さが変わっていなくても、他の刺激によってその感じ方が変わってしまい、時にはまったく感じなくなってしまうこともあるのだから。

退散を決意した僕はさっさと荷物をまとめ、危うい空模様の下、松山行きの高速バスが出る停留所に急いだ。間一髪、停留所の屋根の下に着いたとたん、山から大雨が降りてきた。あまりにも凄い雨に唖然として、その日の観光をあきらめた残念さはまったく感じなくなってしまった。ウェーバー則はすべての感覚に対する法則だから、こんな効果もあるのだ。なにはともあれ、バスはその大雨から脱出するように松山へと疾走したのであった。