70話. 大根と白について2012/02/05 21:20

寒いから鍋がうまい。鍋に欠かせぬ野菜のひとつが大根だ。良く締った鶏肉などといっしょにしゃきしゃきの短冊切りの大根などふうふうと吹いていると、たいそう幸せな気分になれるのは僕だけではあるまい。

今夜も鍋をつついていたら、ふと気になることがでてきた。生の状態の大根にくらべて、鍋の湯の中で煮た大根は多少白さが薄れ、透明感が増しているのだが、何故だろうかと。

そもそも、白という色。反射の場合には、可視光領域の色を吸収することなく、乱反射が起きているときに見える色だ。たとえ吸収が無くとも、正反射が起きてしまうと鏡になってしまうし、反射が無ければ透き通ってしまう。乱反射によって全ての色が、人間の目の分解能では見えない領域で混ざり合うことで白は生じる。絵具の白などは、吸収が無い酸化チタンの微粒子を透明な媒体に混ぜ込むことで散乱光を発生させている。

さて、大根だ。生の大根を薄く輪切りにしてみる。少し斜めに切ると、一枚の輪切りで厚いところ(5mmくらい)からごく薄いところまでが見られる。一見したところ、厚い部分は白く、ごく薄い部分は透き通っているように見える。良く見れば、厚い部分でも、白い身の中に、中心から放射状になっている透き通った部分がある。透明な部分は、大根に栄養や水分を送り込む管が密集している部分だろうか。白い部分は、繊維質で、空気の隙間が多く、それによって光を乱反射しているのだと思われる。もともと大根は95%が水だそうだから、乱反射の割合も、白い絵の具などに比べれば小さいにちがいない。だから薄い部分では光が散乱されきらず、透明になるのだ。湯の中で煮ると、白い部分の組織が崩れ、そこに水が浸入することで空気の隙間が無くなって乱反射の量が低下することにより、生の時よりも透明感が増すのだろう。
そういえば、蕪は薄くても真っ白だが、ポトフなどにすると煮た大根のように透き通るから、生の蕪は大根よりも空隙がいっぱいあるのにちがいない。
などと、鍋の中には光に関するネタも浮かんでいるのだ。

ところで、透明感のある大根の白と、雪のような蕪の白。どちらが魅力的だろうか。北国育ちの僕にとっては、北国美人のような蕪の白も魅力的だが、すき通ってセクシーな大根の白も捨てがたい。うーん、どっちにしよう・・・・・なんていう、どうでもよいことにまで考えはおよんでしまうのは、焼酎のお湯割りのせいだろうか。とりあえずは今日の鍋に浮かんでいる、セクシーに透き通った短冊切りの大根をはふはふと口に入れているのである。