54話. 反薄明光線 アンチなやつ2011/07/24 21:47

僕が通う職場の周りは、2年ほど前までは長閑な田圃が拡がっていた。残念ながら、いまは田圃は埋め立てられて造成地になってしまったが、まだ建物は建っていないから空が広い。夕焼けが始まる時刻に仕事を終えれば、ずいぶんと豪華な空の饗宴を楽しみながら駅に向かうことができる。先日、ちょうど梅雨が明けた直後の頃、そういう時刻に会社を出た。日が沈むあたりには夏の雲が湧いていが、それでも夕焼けが空を染めつつあった。

さて、その日の夕焼けは少し変っていた。赤い夕焼けの光が空全体を染めるのではなく、太陽が沈むあたりからその反対の空に向けて直線状に延びているのである。最初は飛行機雲が赤く染まっているのかと思っていたが、それにしては妙に輪郭がはっきりとした直線的な光だ。光が延びる空の下は、ちょうど断層崖と一致しているので、すわ、地震雲かと、すこしどきどきしてしまった。そのうちに、光の筋は2本になり、やがて3本、そしてまた2本と変化をする。良く眺めていると、光が筋になっているようにも見えるが、もっと広い光の帯の中に影が伸びているようにも見える。直線的な雲が赤く染まっているのではなく、均一な空の一線を光が通りぬけているのだ。もちろん自然現象なのだが、人工的に作り出した景色のようにも感じられ、なかなか不思議な景色だ。複数の光の大元は、雲間に沈んだ太陽のあたりだ。どうも、雲の隙間から洩れた太陽光、光芒が、もはや地上には届かずに、空を渡っているらしい。

調べてみると、このような光には反薄明光線という名前がついている。Color and Light in Nature Second Edition ( David K.Lynch and William Livingstone 著) でも、anticrepuscular rays として紹介されている。

雲の隙間から漏れだす太陽光線が見える現象が薄明光だ。いわゆる光芒である。この光が太陽とは反対側の空まで延びていくと、それを反薄明光と呼ぶ。大気中を光線が通っていても、その光を散乱する物が無ければ、この光は見えない。波長の長い、赤い光を散乱する大きめの微粒子が存在する大気状態の空に、たまたま雲間から漏れる光が通りぬけるときに見える現象だ。僕が見たときは、梅雨明け直後くらいで、晴れてはいるが湿度が高く、大気中にはちょうど良いサイズの水の微粒子が存在していたために、鮮やかな反薄明光線が見えたのだろう。

薄明光線はたいていは放射状のカーテンのように派手に出現し、見ていて美しいし、その成り立ちは直感的にわかりやすい。ああ、太陽の光が雲間から漏れているのだな、と。一方、反薄明光線は薄明光線ほどの派手さは無いが、一見すると、それが太陽光線だとは直感的には信じがたい意外性を含んでいる。不思議さでは反薄明光線の勝ちと、僕は勝手に決めているのだ。

それにしても、「反」とか「anti」という言葉が良いではないか。太陽方向に群れる薄明光とは異なり、太陽から遠く離れた空を孤独に渡っていく反薄明光。そして、ついには空の果てまで照らし出すのだ。まさに、「反」「anti」の仕事だなあ、かっこいいなあ、と、なんだか感心してしまうのである。もしも天上の神様に、あなたは薄明光線なりなさいと言われたら、「はいはい」と答えながら、その実、反薄明光線になってやろうと、たった今、決心したところなのである。