53話. プルキンエ 暗闇で麗しい2011/07/18 00:04

今夜は月が麗しい。外に出てみると、昼間は何の変哲もない近所の家々が、なんだか風情のある街並みに見えてしまう。それぞれの家の車も月明かりで光っている。良く見れば、斜め向かいの家が所有する赤い車(昼間は鮮やかな赤だ)が、月明かりではくすんだ無彩色になっている。プルキンエ現象だ。プルキンエ現象とは、明るいところでは鮮やかに見えていた赤色が、薄暗くなると暗く沈んだ色に見え、逆に、青色が明るく見えてくる現象だ。

明るい時の人間の視覚は、錐体という視細胞によっている。錐体は赤、緑、青を感じる3種類の視細胞からなっていて、明るいところで色が見えるのはこの細胞のおかげだ。錐体の中でも、最も少ない光量で機能するのが赤を感じるものだ。だから、だんだんと暗くなるにつれて、他の色がくすんでいき、相対的に赤色がより鮮やかに見えるようになる。とはいっても、もっと暗くなると錐体は機能しなくなり、その代わりに桿体という視細胞が働きだす。暗い所でじっと目を凝らしていると次第にいろいろなものが見えてくるのは、この桿体がゆっくりと機能を開始するためだ。桿体は感度は高いのだが、色を見分ける機能はもたない。だから, 桿体が支配的になる薄暗がりでは、物は見えても色の区別はつかなくなる。この桿体は青い光に対して最も感度が高くなる。このような、錐体と桿体の感度が最大となる色が異なるということが、プルキンエ現象を引き起こす。

プルキンエ現象は有名なので、数多くの解説を見ることができるが、そのうちのいくつかには、ある明るさでは赤が最も鮮やかに見えるけれども、それよりも暗くなると、今度は青が鮮やかに見えるようになる、と記述されているものがある。ここで僕はひっかかるのだ。たしかに暗いところで働く桿体の感度は青に対して最も高くなる。しかし、桿体には色の弁別能力はないのだから、明るく見えたとしても青色だと認識することはできないはずではないか、と。

まあ、悩んでいてもしかたがないの、実際にどうなるか、この目で確かめてみた。実験は簡単だ。同じメーカー、同じ型の赤、青のボールペンを用意する。赤ボールペンには赤いグリップ、青ボールペンには青いグリップが巻いてある。この二つのボールペンを黒い布の上に並べて、あとは夜の自室の電気スタンドの明るさを変えながら眺めてみるだけである。照明の明るさを少しずつ落としていくと、確かに最初は赤ボールペンのグリップの色が鮮やかに見えてくる。けっこう照明を暗くしても赤は鮮やかだ。人間の視細胞はけっこう優秀なのだ。さて、スタンドの明りを消して、隣の部屋からの漏れ光のみにする。しばらくは暗すぎてなんだかよくわからないが、次第に目が暗闇に慣れてくる。桿体が働き始めたのだ。暗順応というやつだ。この状態でボールペンを眺めると、たしかに青いボールペンのほうが、赤いボールペンよりも黒字に明るく浮き出て見える。さらにじっとも見ていると、青、赤、両方の色が見えていることに気づく。そして、鮮やかとは言わないが、青ボールペンのグリップの青ほうが、赤ボールペンのグリップの赤よりも明るく見える感じがする。

この実験から察するに、どうも、暗いからといって、機能する視細胞が100%桿体なってしまうわけではなく、錐体も多少は機能しているようである。僕らの脳は、錐体でおぼろげに感じる色の情報と、桿体で感じる明るさの情報を同時に受け取り、それを総合して視覚情報処理をおこなう。その結果、桿体の感度が高い青をより明るい色と感じるようになっているのではないかと思われるのである。暗い所で青のほうが赤よりも鮮やかに見えるようになるという記述も、あながち間違っていないように感じる。

ところで、明るいところでは知的で健康的な女性が魅力的に見えるのに、暗がりになると(しばしばアルコールの相乗作用があると)、多少、厚化粧の部類の女性が麗しく感じてしまうことがあるが、この効果には特別な名前はついていないのだろうか。まあ、こちらのほうは錐体や桿体の機能にはほとんどよらず、脳の機能によるところが支配的と思われる。あまり光には関係がなさそうだから、この件に関してはこれ以上の考察はやめておこう。