49話. 文字の流れのままに2011/06/05 22:04

職場が田舎なので、東京に出張といえば新幹線だ。出張帰りに東京駅近辺の本屋や土産屋をぶらつくのは結構好きだ。特に最近は、東京駅の駅中が充実しているので、少しの時間でも充分に楽しむことができる。適当に歩き回り、そしてお決まりのビールを買い込んで帰りの新幹線に乗り込む。

東京駅を出発してしばらくは車窓から都会の夕景に見入ってしまうが、品川を過ぎ、山手線を外れたあたりからは景色が退屈になるので、通路出入口の自動ドアの上にあるLED表示板に表示される、ニュースや、「○○は△△の会社です」という企業広告などを何とは無しに見てしまう。日経平均株価や、プロ野球の結果などを伝える文字が右から左へ流れていく。やがて、新横浜が近づくと、掲示板には停車駅の新横浜を伝える文字が静止文字で表示されるのだが、この文字が、いつでも左から右に流れていくように見えてしまって仕方がない。

ニュースや企業広告の文字は常に右から左へ流れている。僕はその中の特定位置の一文字をひとつづつ読んでいる訳ではなく、「今日」だとか「株価」などという意味のある言葉の流れを右から左に追うようにして読んでいる。一定時間、この文字の流れを追っていると、僕の脳は、文字は右から左に流れるものと勝手に決め込んでいるに違いない。いったん、そうなってしまったあとでは、右から左に文字を追おうとしている脳から見れば、静止している文字は視界の右へ右へと動いているように錯覚してしまうのだろう。

それにしても、長年、この新幹線の車内掲示板を眺めていて、決してそうではないと理性的には知っていても、やはり静止文字は左に動いているように錯覚してしまうから、人間の理性なんて、けっこう脆弱なもののようだ。もっとも、体に悪いとわかっていてもついつい酒を飲んでしまったり、まずいことになるとわかっていても男女関係にはまってしまったりするのだから、やはり人間の理性なんていい加減なものにきまっているじゃあないか。ふむふむ。と、一人合点してみたのだが、これは錯覚とは別物であった。