55話. 晩夏光(ばんかこう) 熱く切ない2011/08/09 22:17

夏の終わりの頃、盛りを過ぎて少し和らいだ太陽光を晩夏光という。切ない情感がこもった美しい季語だ。夏の終わりというのは立秋直前。立秋というのは太陽の通り道(太陽黄道)が135度になる日のことで、今年(2011年)だと8月8日だ。ここで、少し考え込んでしまうのである。8月8日といえばまだまだ夏真っ盛りで、それを過ぎた今だって太陽はじりじりと僕たちをいじめているではないか。なんだってこんな時期が夏の終わりなのだろうか。

気温のことはさておき、太陽光線の強さという観点から考えてみた。太陽光線がほぼ平行である考えると、地表が受ける単位面積あたりの光量は、太陽の角度に依存する。太陽光線に対して地面が傾けば、総量が決まった光を、より広い面積で分け合うことになるから、光の密度が低くなるのだ。太陽光線の光軸と地表の角度をθとすると、地表のある地点が受ける光量は、sinθに比例する。太陽が最も高いところを通る日は夏至だ。今年は6月22日だった。東京では、この日の太陽の高さがだいたい78度である。いっぽう、立秋は8月8日。この日の太陽の高さはだいた70度くらいだ。これらの角度を用いて計算すると、立秋の陽射しの強さは夏至に比べると96%程度まで低下していることになる。陽射しのピークは6月で、そして、たしかに8月にはいると陽射しはすでに和らぎ始めているのだ。それにしても、わずか数%程度の太陽光線の強度の低下を感じて晩夏光と名付けた人の感性にはとてもかなわない気がする。

ちなみに、陽射しが最も強くなる6月の夏至の頃よりも8月のほうが暑いのは、地表が宇宙に放出する熱量に比べて太陽から受ける熱量が上回っているために、蓄熱が続いているせいだ。ピークを過ぎたとはいってもまだまだ96%。立秋の太陽光はまだまだ働き盛りなのである。季節が進み、陽射しがもっと弱くなれば放熱が蓄熱を上回り、気温は下がっていく。太陽の角度が最も低くなる冬至には、その角度は31度で、このときの陽射しの強さは夏至の54%にまでも低下し、地表は冬の寒さに覆われるのである。

まだまだ働き盛りとはいえ、晩夏光にはなんだか切なさがつきまとう。それは、スポーツのチャンピオンに通じるところがあるような気がする。戦績は今が絶好調だけれども、自分自身のピークは過ぎていることに気が付いている。引き際をいつにするか・・・。そんな寂しさが漂い始める状況なのである。そういう意味では、暑さの真っ盛りに立秋という線引きで、「はい、夏はこれまで。」と宣言することは、夏の太陽に見事な引き際を提供するための心使いともいえるかもしれない。日本人の季節感は奥が深いのである。

ちなみに、僕の夏休みは今日が最終日。楽しかったバカンスもこれで終わりだ。少しセンチメンタルな気分だ。そういう意味では、今日の陽射しこそ、僕にとっては晩夏光としてふさわしい気がする。