45話.光と色 ― 2011/04/24 23:08
光屋のはしくれとして、たとえば赤い色を見れば、ああこれは波長が650nm前後の光だとか、緑を見れば550nm前後だとか、紫を見れば波長が400nmくらいで少し危ない光だ、などとついつい頭の中で換算してしまう。そして、色は光の波長と対応する物理的な量であると、それ以上、深く追求したこともなかった。しかし、黒について考えてみると、少し頭が混乱してくる。黒も色の一つではあるが、黒自体は、すべての光を吸収し、外への放出が無い場合の色である。すなわち、他の色はすべて、光が存在することを前提に、その光の波長と紐付いているのに対し、黒というのは光が無いということと紐付いているのだ。だから、色は必ずしも光そのものを表す言葉ではなさそうだ。
広辞泉によれば、色とは「光の波長の違い(色相)によって目の受ける種々の感じ」とある。色は「目の受ける種々の感じ」、すなわち感覚的な言葉であって、物理量ではないのだ。そのように言われてみれば、色が光のある状態も無い状態も指すことに合点がいく。
色が感覚的な量であるということであれば、可視光さえ含まなければ、黒と定義できる。たとえば、赤外光や紫外光、X線などの放射線が出ていても、目で見えさえしなければそれは黒だ。そのせいか、黒には良くも悪くもエネルギーを感じる。目に見えぬところで実はアクティブに動き回っている人をクールという。かっこいいのだ。中には、目に見えぬところで悪いことをする人が居て、「腹黒い」などというが、それもクールに属するのだろう。
僕はといえば、クールに憧れながら、そうはなかなかなれない。せめて形だけでもということで、黒いリュックで会社に通い、黒いGパンを穿いて、休日には黒の車を乗り回すのが関の山だ。
光と色について考えるつもりが、どうも話が黒に移ってしまった。恐るべし、黒のパワー。と、自分の頭のまとまりのなさを黒のせいにして、今日は寝てしまおう。
広辞泉によれば、色とは「光の波長の違い(色相)によって目の受ける種々の感じ」とある。色は「目の受ける種々の感じ」、すなわち感覚的な言葉であって、物理量ではないのだ。そのように言われてみれば、色が光のある状態も無い状態も指すことに合点がいく。
色が感覚的な量であるということであれば、可視光さえ含まなければ、黒と定義できる。たとえば、赤外光や紫外光、X線などの放射線が出ていても、目で見えさえしなければそれは黒だ。そのせいか、黒には良くも悪くもエネルギーを感じる。目に見えぬところで実はアクティブに動き回っている人をクールという。かっこいいのだ。中には、目に見えぬところで悪いことをする人が居て、「腹黒い」などというが、それもクールに属するのだろう。
僕はといえば、クールに憧れながら、そうはなかなかなれない。せめて形だけでもということで、黒いリュックで会社に通い、黒いGパンを穿いて、休日には黒の車を乗り回すのが関の山だ。
光と色について考えるつもりが、どうも話が黒に移ってしまった。恐るべし、黒のパワー。と、自分の頭のまとまりのなさを黒のせいにして、今日は寝てしまおう。