44話. ひさかたの2011/04/10 21:47

万葉集といえば、中学や高校時代にあまり気乗りしない古典の授業でむりやり勉強をさせられたものという、僕にとっては、どちらかといえば負のイメージが宿っていた。しかし、最近になって、ふと思いついて読んでみると、なかなか味わい深い感じるようになった。技巧のつくし合いとなっている新古今和歌集などと比べると、万葉集は素朴で、人間の真の心が浮き出ている気がする。

ひさかたの 天の香具山この夕 霞たなびく 春たつらしも

柿本人麻呂の歌だ。
今夕は天の香具山に霞がたなびいている。春がきたのだなあ。
というような意味の、まことに素朴でありながら春の情感がたっぷりと漂う歌だ。

「ひさかたの」と言う言葉は、天、雨、月にかかる枕詞だ。枕詞とは、短歌において、リズムを整えつつ情緒を加える言葉である。「ひさかたの」の語源説のひとつに、「日射す方」がなまったというものがある。天照大御神が太陽の神様だから、天といえばお日様が射すところ、というのも、なんとなくうなずける気もする。いずれにしても、中高生以来、僕が勘違いしていた「ひさしぶりに」という意味とはまったく別物なのだ。

後の古今集ではその使われ方も拡大し、

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

などというように、光に対する枕詞として使われるようにもなっている。光がお日様に由来するわけだから、これはこれで納得できる使われ方である。もっとも、現代社会における人工的な明かりは天から降ってくるものではないから、ひさかたの蛍光灯と、ひさかたのレーザ光とか、ひさかたのLEDなんていう使い方まで拡大すると、どう考えても間違いになるだろう。

まあ、そんなことはどうでもよいのだけれど、とにかく、「ひさかたの」という枕詞はなにやら光の根源を含んでいるようで、なかなか気にかかる言葉なのである。