光の正体2010/05/12 23:11

昼間、世界には光が満ち溢れているのだが、そんなときには僕は光の存在などすっかりと忘れてしまっている。夕闇迫るころ、沈みかけた太陽が空に山や雲の壮大な影を映しだしたりすると、僕は光の存在を強く感じる。そして、酒でかすんだ頭で、光とはいったい何者なのだろう、と考え始めるのだ。

物を見るということは、視細胞の中の分子の、さらにその中の電子が光を感じて震えることから始まる。その震えは新たな電荷を発生させ、その結果生じた電気信号が神経細胞によって脳に伝達されて、光を見たと感じる。すなわち、僕たちは視細胞の中の電子が運動をしたら、そこに光が来たと認識しているだけで、光そのものを直接認識している訳ではない。

幾何光学、古典的な電磁気学、相対性理論、量子力学を駆使すれば、僕たちが目にする光の現象のほとんどを説明したり予測したりすることができる。しかし、それらは光のふるまいを説明しているだけであって、光が何者であるのかを説明はしていない。いろいろな実験や測定はそれらの理論が正しいことを証明しているけれども、結局それは電子の震え方からの予測に過ぎない。波になって連なっている光や、粒子として飛んでいる光を直接見た者はいないのだ。

そんな謎があるからこそ、光は魅力を失わないのかもしれない。まあ、魅力があるからと言って、光の正体を暴くのを生業にしてしまったら、よほどの天才だって人生棒にふってしまうだろう。せいぜい、酔った時の楽しみとして、光の正体について勝手に妄想しているくらいが、凡人の僕にはちょうどよさそうだ。