光ひかひか2010/05/05 22:13

 光(ひかり)という言葉は重要で、「朝の光」、「希望の光」、「聖なる光」、「新幹線ひかり号」、「光源氏」、「光が丘団地」、「光ファイバ通信」など、さまざまな場面で使われている。僕たちにとって光は、あるときには空気のような存在であるが、あるときには生活を支える重要な技術としての存在となり、そしてまたあるときには希望や神秘を秘めた極めて特別な存在となることが、言葉として広く使われることにつながっているのだろう。

 そもそも、「ひかり」という呼び名はどうやって形成されてきたのだろうか。きちんと調べたわけではないが、もともとは「ひかる」という動詞があって、そこから名詞として「ひかり」がでてきたらしい。小学館日本語源大辞典によると、「ひかる」という言葉の語源は以下のように述べられている。

ひかる【光る】 光を放つ。光を反射する。
語源説①ヒカメク・ヒカヒカと同語源。②光線の様子がピカピカという発音の活発であるのに似ているところから。③ヒケハル(日気張)の義。④ヒカアル(日香有)の義。⑤ヒカガル(日赫る)の意。⑥ヒカリ(日借)の義。⑦ヒカルキ(日軽)の義。⑧ヒキタリ(火来、日来)の義。⑨日明るの義。⑩ヒカカリの義

 「語源」と断定せずに「語源説」となっているところに何やら奥深さを感じる。それにしてもその語源説が10もあるのだ。僕はこの分野の専門家ではないので、どれが正しいとか正しくないとか、自分の説を主張することはできない。だいたい、光そのものは人間が作り出したものではなく、宇宙創成の時から自然界に満ち溢れていたものだから、それを示す言葉がいろいろな過程で形成されてきてもおかしくはない気がする。

 個人的好みからいえば、僕は「ヒカヒカ」が好きだ。ヒカヒカはその後、ピカピカに変わっていく原始の言葉らしい。太古の人々が、ようやく言葉を使えるようになったころ、太陽や火の輝きを「ヒカヒカ」と呼んだのはずいぶん自然なことに感じる。現代にあっても、幼児が犬のことを「ワンワン」と言ったり、車のことを「ブーブー」と言ったりするが、それと同じようなものだ。

 恐ろしい闇夜を過ごした後に地平線から昇る朝日を見た瞬間や、神々しい火山の噴火を見た瞬間などに、「おー ヒカヒカ!」と、人々が感嘆の声を揚げることを想像すると、なんとも微笑ましい気分になるではないか。「ヒカガル(日赫る)」なんかは、もっともらしくはあるけれども、どうも優等生の考えたことみたいで、面白味に欠ける。やっぱり僕は、ヒカヒカ派である。

 ところで、もしも今でも「ヒカヒカ」が使われていたらどうだろう。光科学は「ヒカヒカかがく」、光物性は「ヒカヒカぶっせい」、光源氏は「ヒカヒカげんじ」となる。
「私の出世は親の七ヒカヒカのおかげでして・・・」とか、「希望のヒカヒカがみえてきたぞ」とか、「君の未来にヒカヒカあれ」とか、「新幹線ヒカヒカ号は3番ホームより発車します」とか、ずいぶん平和な感じがして良いじゃあないかと思うのである。