85話. 寄り添う影 - 遠近錯覚の基準-2012/12/09 21:55

この季節、目覚まし時計が鳴る頃はまだうすら暗い。何かの間違いだろうと時計の表示を確かめるのだが、やはり起きなければいけない時刻だ。眠いし寒いし、ちょっとつらい朝が続くのだ。仕事に向かうために家を出るのも日の出からそれほど時間がたっていない。ずいぶんと長い影を横切りながらの出勤だ。

左前方に長く伸びる電信柱の影の間を移動する自分の影を見ていて、あることに気がついた。自分の影が電信柱側に傾いているのである。僕自身、無意識のうちに前傾して歩いているのだろうかと思ってしまう。しかし、自分の影と電信柱の影が交差する瞬間を見ると、僕の影は電信柱の影と同じ方向に伸びていて、特に傾いてはいないことが確認できる。そして、そこを通り過ぎると、今度は僕の影は後側になった電信柱の影の方向に傾いていて、自分が後傾して歩いているかのように感じてしまうのだ。通勤路の周りの人に怪しまれるのを覚悟して、その場で立ち止って後を振り返る。そして、僕の右後方に伸びる全身柱の影と僕自身との影を見比べる。するとどうだろう。やはり、僕の影は電信柱側に傾いている。

どうも、自分の影が電信柱側に傾いて見えるのは眼の錯覚のようだ。良く見てみれば、隣り合う電信柱の影も、遠くに行くほど近づくように見える。遠近感によるものである。でも、僕は地面からまっすぐに立つ実物の電信柱も見えているので、それらの影が実は平行に伸びているのだということを経験的に知っている。さて、僕自身の場合はどうだろう。僕には、僕の影は見えるが僕自身は見えない。たぶん、まっすぐ立っているという基準は目に見えている電信柱に頼っているから、遠近感で傾いている自分の影を見ると、あたかも自分自身が傾いているように感じてしまうのではないか。これが、確固とした我を持たない軟弱人間である僕特有の感覚なのか、あるいは万人の感覚なのか、ずいぶんと気になるところだ。

それにしても、もしもすべての電信柱が僕に傾いているという錯覚だったら、さぞかしストレスがたまることだろう。べつに電信柱に恋をしている訳ではないが、自分自身の影が電信柱のほうに寄り添っているように見得るという程度の錯覚の感覚には感謝せねばなるまい。