81話. 月明かりの友情2012/08/26 21:54

暦の上では立秋はとうに過ぎているのに、なにしろ暑い。せめて気分だけでも、と、山家集の秋の歌をぱらぱらと読んでみる。天才、西行の歌の中でも、僕は特に秋の歌が好きだ。有名な「鴫立つ沢の秋の夕暮れ」などにまじって、次の歌も印象的なもののひとつだ。

 月ならで さしいる影のなきままに 暮るるうれしき 秋の山里

“自分が住む秋の山里には月しか訪れるものはないから、日が暮れるのが待ち遠しい”というような内容である。

ずいぶんと趣深い歌なのだけど、ひとつ気にかかることがある。月が出る晴れた日であれば、もちろん昼間はお日様も顔を出していることだろう。それなのに西行は何故、“訪れるものは月だけ”と感じたのだろうか。

太陽の光に照らされると、可視光のすべての色が僕たち人間には見える。青空、草木の緑、色とりどりの花。(西行の住む山里にはどんな花がさいていたのだろうか)。青い水など、ずいぶんと賑やかな印象だ。だから、太陽は、多くの仲間を引き連れて訪れるリーダー的存在の者と言っても良いのではないだろうか。

では、月の光はどうだろう。月は短波の光よりも比較的長波の光を反射するから、月明かりは、物理的には赤っぽい色が主体になっているはずだ。ただし、月の光の強度は太陽に比べると465000分の1程度。この程度の光強さだと、視細胞のうちでも色を感じる錐体はほとんど機能しなくなり、色を感じないけれども微弱な光に感じる桿体が優勢になる。もっとも、錐体もまったく機能しなくなるわけではないから、桿体と錐体の両方の情報をもとに、僕達の脳は色を判別する。桿体が優勢になる薄暗い状態では、桿体の感度ピークである青い光のみが認識されやすくなり、これがプルキンエ現象と呼ばれているものである。

さて、月の光に照らされた野山を見る西行も、プルキンエ現象の影響を受けていたはずで、昼間は様々な色で織りなされていた風景が、月明かりの夜は青白いモノトーンの世界に見えていたに違いない。大勢の仲間を引き連れてにぎやかにやってきて、そしていっせいに引き上げてしまう太陽よりも、青だけをお供にひっそりと訪れる月にこそ、西行は真の友情を感じていたのかもしれない。