80話. 黒光りのボディ2012/08/12 21:35

犬の散歩をしながら、通り過ぎる車を見ていたら、あることに気が付いた。車のボディに映った自分の姿は、ボディの塗装の色が黒いとくっきりと見え、白の時にはそれほどでもない。それに気が付いたとき、或る童話を思い出した。話を聞いたのか、本で読んだのかは定かではないが、内容は以下のようなものである。

子供たちが、壁に映る自分達の影の輪郭を書いて遊んでいる。そこにひとりの大人の男が通りかかり、自分も仲間に入れてくれと言う。男は、自分の影を墨で塗りつぶしてくれと言うのだ。子供たちは、言われたとおりに、壁に映った彼男の影を墨で塗りつぶそうとするのだが、時間がたつにつれて影の位置が変わってしまうので、なかなか終わらせることができない。ついには、壁全体が墨で塗り分されてしまい、子供たちはその男に不平を述べようとすると、男はすでに消えてしまっている。そして子供達はあることに気が付く。黒く塗りつぶされた壁には自分達の姿が鏡のように映っていることを。そして子供たちは大喜びで自分達の姿と戯れるのだ。

さて、車のボディ。ボディ塗装膜で色が付くのは、塗装膜内部まで達した光が顔料の吸収や、マイカの干渉反射で波長選択されながら散乱を繰り返し、もういちど外側に散乱光として光が跳ね返っていくためだ。黒の塗装では、塗装膜内部でほとんどの光が吸収されてしまう。白の塗装の場合は、膜内部では光は吸収されず、何度も散らされているうちにほとんどの光がついにはもういちど外に飛び出していく。
これに対し、自分の姿が反射して見えるのは、塗装最表面での光反射によるものだ。塗装の色は関係なく、空気と塗装膜との屈折率差のみで反射率が決まる。たとえばガラスコーティングの場合、膜の屈折率はだいた1.5くらい。空気の屈折率が1なので、そこから計算すると、膜最表面での光の反射率は4%程度である。膜内部からの散乱光は光が散ってしまって像にはならないから、車に映る自分の姿は、4%の反射光によるものである。

黒の塗装の場合、膜内部からの散乱光はほとんどないので、僕たちは塗装膜表面からの4%の光のみを見ることになる。これに対し、白い塗装では、4%の鏡面像に、80~90%程度の散乱光が加わった光を見ることになるだろう。ウェーバー則によれば、画像の濃度変化の絶対値が同じでも、光量の下駄をはくと人間には見え難くなる。だから、車のボディの場合、最表面に映っている自分そ姿は、光量としては同じなのだが、塗装膜内部からの散乱光の強度の下駄の高さによって見え方が変わってきていると思われる。実際、良く見てみると、暗色系のボディーの車に映る自分の姿ははっきりと見えるし、明色系のボディに映る自分の姿は、見えるには見えるけれども、暗色系と比べればコントラストが劣る気がする。

例の童話も、子供の頃は単に墨を塗れば表面が平滑になって自分の姿がうつりやすくなるのだろう、くらいに考えていたが、そんな単純な話ではなさそうだ。塗装と言うのは、光の物理と人間の感覚がまじりあった奥の深い技術であるということに、いまになって気が付いたのである。