60話. 木霊ですか いいえ 光です ― 2011/10/10 23:17

八ケ岳に登って来た。麦草峠から天狗岳、硫黄岳、横岳、赤岳を超え、阿弥陀岳から御小屋尾根を下るというコースだ。好天に恵まれて、すばらしい山旅だった。買ったばかりのカメラでずいぶん多くの写真も撮ってきた。
今回、オーレン小屋のキャンプ場でテントを張って一泊した。一人のテントはお気楽だ。テントを張ったらぼーっとして、おなかがすいたら夕飯を作って食べ、寒い中で焼酎のお湯割りを飲んで寝る。ただそれだけなのだが、ずいぶんと贅沢な時間だ。夕暮れ時に小屋のトイレを借りに行って、テント場に帰る途中、ガスのかかった薄暗闇の中に佇むキャンプ場の看板に何だか風情を感じた。とりあえず一枚、写真を撮っておいた。
この写真、家に帰ってからパソコンの画面で再生してみると、なかなか興味深い画像が写っていた。ストロボを焚いて撮った写真だが、看板にはしっかりと焦点が合っていて、木で作った看板に「夏沢だけかんばキャンプ場」の文字が書いてあるのがはっきりと読み取れる。ただ、画面全体に白い斑点状のもの、というかうろこ雲のミニチュアみたいなものが写り込んでいる。ひとつひとつの白い塊はおにぎりくらいの大きさだ。森に囲まれた山の中で、八ケ岳の木霊たちがいたずらを仕掛けてきたなんてことを想像するのは楽しいが、それはそれ。実際に何が起きていたのかが、ずいぶんと気にかかる。
夕方のガスは風に乗って足早である。目で見れば白い霧が一様にそこいらを覆っているように見えるが、ストロボで時間を切り取ってみると、実は水蒸気のおにぎり大の塊が分布している、ということだろうか。しかし、もしそうだとすれば、風が遅い時には肉眼でもそれが見えてよいはずだ。どうもこれではなさそうだ。
そこで、以下のような推測をしてみた。カメラレンズの焦点は看板に合っているので、暗い中でストロボを焚いて写真を撮れば、当然、看板が写る。さて、ストロボの光だが、それは比較的小さなバルブから発散光として拡がっていく。だから、近いところでは明るく、遠くになるにつれて、ほぼ距離の2乗の逆数で暗くなっていく。さて、あたりを覆っているガスは、5~10ミクロン程度の水の粒の集まりである。小さい粒だが、それは光を反射するだろう。カメラに近い水の粒からは、より強い反射光が戻ってくる。反射光は点光源とみなすことができるが、焦点よりもずいぶん近いところからの光なので、ボケて大きなサイズとして結像される。それが、写真にでは白い斑点状の分布として写るのではないだろうか。いまのところ、僕の中ではこの説が最有力だが、確証があるわけではない。いずれにしても、残念ながら木霊たちではなく、光のいたずらであることは確かだ。
山の夜は幽玄なガスに包まれて更けていったが、翌日は鮮やかに晴れわたった。こんな素敵な時間をプレゼントしてくれた山の木霊たちにはありがとうと言いたくなる。それにしても、テントを含めた重装備で歩いていると、軽装備のハイカーの人たちにとっては山の達人と見えるのか、よく、「先に行ってください」と道を譲られる。「いいえ、僕、普通の人だし、テントかついで重いから、そんなに早く歩けません」といいたいところなのだが、ついつい「ありがとうございまーす」と言いながら、追い越しをさせていただく。颯爽を装ってはいるが、実はかなり無理をしているのだ。最近は山ガールと称される若い女性も多いから、強がりもなおさらなのだ。しかし、考えてみれば、こんなことでは山をのんびりと楽しむこともできないし、なによりも山ガールさんたちと会話するチャンスもないではないか。ということで、これからはたとえ道を譲られても、「いえいえ、僕もゆっくり行きますから。ところでどちらから?」作戦でいこうという考えに行きついた今回の山旅なのであった。
今回、オーレン小屋のキャンプ場でテントを張って一泊した。一人のテントはお気楽だ。テントを張ったらぼーっとして、おなかがすいたら夕飯を作って食べ、寒い中で焼酎のお湯割りを飲んで寝る。ただそれだけなのだが、ずいぶんと贅沢な時間だ。夕暮れ時に小屋のトイレを借りに行って、テント場に帰る途中、ガスのかかった薄暗闇の中に佇むキャンプ場の看板に何だか風情を感じた。とりあえず一枚、写真を撮っておいた。
この写真、家に帰ってからパソコンの画面で再生してみると、なかなか興味深い画像が写っていた。ストロボを焚いて撮った写真だが、看板にはしっかりと焦点が合っていて、木で作った看板に「夏沢だけかんばキャンプ場」の文字が書いてあるのがはっきりと読み取れる。ただ、画面全体に白い斑点状のもの、というかうろこ雲のミニチュアみたいなものが写り込んでいる。ひとつひとつの白い塊はおにぎりくらいの大きさだ。森に囲まれた山の中で、八ケ岳の木霊たちがいたずらを仕掛けてきたなんてことを想像するのは楽しいが、それはそれ。実際に何が起きていたのかが、ずいぶんと気にかかる。
夕方のガスは風に乗って足早である。目で見れば白い霧が一様にそこいらを覆っているように見えるが、ストロボで時間を切り取ってみると、実は水蒸気のおにぎり大の塊が分布している、ということだろうか。しかし、もしそうだとすれば、風が遅い時には肉眼でもそれが見えてよいはずだ。どうもこれではなさそうだ。
そこで、以下のような推測をしてみた。カメラレンズの焦点は看板に合っているので、暗い中でストロボを焚いて写真を撮れば、当然、看板が写る。さて、ストロボの光だが、それは比較的小さなバルブから発散光として拡がっていく。だから、近いところでは明るく、遠くになるにつれて、ほぼ距離の2乗の逆数で暗くなっていく。さて、あたりを覆っているガスは、5~10ミクロン程度の水の粒の集まりである。小さい粒だが、それは光を反射するだろう。カメラに近い水の粒からは、より強い反射光が戻ってくる。反射光は点光源とみなすことができるが、焦点よりもずいぶん近いところからの光なので、ボケて大きなサイズとして結像される。それが、写真にでは白い斑点状の分布として写るのではないだろうか。いまのところ、僕の中ではこの説が最有力だが、確証があるわけではない。いずれにしても、残念ながら木霊たちではなく、光のいたずらであることは確かだ。
山の夜は幽玄なガスに包まれて更けていったが、翌日は鮮やかに晴れわたった。こんな素敵な時間をプレゼントしてくれた山の木霊たちにはありがとうと言いたくなる。それにしても、テントを含めた重装備で歩いていると、軽装備のハイカーの人たちにとっては山の達人と見えるのか、よく、「先に行ってください」と道を譲られる。「いいえ、僕、普通の人だし、テントかついで重いから、そんなに早く歩けません」といいたいところなのだが、ついつい「ありがとうございまーす」と言いながら、追い越しをさせていただく。颯爽を装ってはいるが、実はかなり無理をしているのだ。最近は山ガールと称される若い女性も多いから、強がりもなおさらなのだ。しかし、考えてみれば、こんなことでは山をのんびりと楽しむこともできないし、なによりも山ガールさんたちと会話するチャンスもないではないか。ということで、これからはたとえ道を譲られても、「いえいえ、僕もゆっくり行きますから。ところでどちらから?」作戦でいこうという考えに行きついた今回の山旅なのであった。