29話. 真っ赤な嘘2010/12/05 18:58

「真っ赤な嘘」という言葉がある。ここでの赤は、その語源でもある「明るい」「明らか」から来ているということなので、明らかな嘘という意味である。「赤の他人」とか、「赤っ恥」など、赤はよく使われているが、それらはネガティブな言葉である。「明らか」ということであるならば、「真っ赤な本当」とか、「赤の知り合い」とか、「赤名誉」などの使われ方をしてもよさそうであるが、そんな使われ方はしないのである。たとえば、「真っ赤な嘘」の反対の言葉があるとすればどんなものだろうか?赤の補色が青緑だから、「真青緑の本当」なんて言葉ではどうだろう。まあ、あまりぴんとこないから、今後も使われることはないだろうけれど。

補色とは、お互いにもう一方をもっとも引き立てる色、言ってみれば反対の色である。2色をまぜて無彩色になるものどうしが物理補色、ある色をじっと見つめた後に白い物をみたときに現われてくる残像の色どうしが心理補色だ。心理補色はずいぶんと興味深い。なにせ、だまされないぞ、と意気込んでいても、赤をしばらく見た後に白地を見れば青緑が見えるし、黄色をしばらく見た後には青紫が見える。これをうまく利用すれば、白黒写真をカラー写真のように見せる錯覚も起こすことができるのだ。
心理補色の残像が生じる理由は、人間が、ずっと同じ刺激を受けているとそれを打ち消そうという作用が働くかららしい。ずっと赤の刺激を受けていると、それを打ち消すために青緑を重ねて、色をなくしてしまおうというのだ。ずっと同じ刺激では疲れてしまうからだと書いてあるものもあるが、果たして本当だろうか?たとえば僕たちは、青色照明である青空のもとでも、白熱電球のもとでも、しばらく見ていれば白い物は白と認識する。他の色だってそうだ。もしかしたら、多少の環境の光の色の差に惑わされずに食べ物などの本来の色を見極めるという、生き延びるための手段として心理補色が機能しているのではないかとも思われるけれども、どうだろう?

ところで、近年はグリーンテクノロジーというのが流行りである。グリーンテクノロジーとは環境に配慮した技術ということだ。CO2問題や資源の問題などで、太陽電池や電気自動車、省エネシステム、環境に配慮した材料など、ありとあらゆる分野でグリーンの冠を掲げて大攻勢をかけようとしている。もちろん、それはとっても良いことなのであるけれども、何から何まで環境に結び付けているのを見ていると、本当にそうなのかなあと疑ってしまう。グリーンばかりみているから、その補色の赤系・・・真っ赤な嘘・・・がときどき目に浮かんでしまうのだ、などと軽々しく言えば赤っ恥をかいてしまうかもしれないから、もう少しじっくりと見極める必要がありそうだ。