12話. 屈折 - 光も心も屈折する - ― 2010/08/07 00:02

  屈折という言葉を広辞苑で調べてみると、
「①折れ曲がること、②比喩的に、感情などが素直に表現されないさま、③光や音などが、一つの媒質から他の媒質に入る際、境界面でその進行方向が変ること、・・・」
となっている。
  光に携わる者であれば、屈折といえば、③の意味である、屈折率の異なる媒質の界面で光がその進行方向を変えることを最初に思い浮かべるだろう。

  屈折率と言うのは、真空中で直進する光が媒質に入射するときに角度を変える割合、すなわち屈折の割合のことで、屈折率と光の入射角の関係式はスネルの式で簡単に計算することができる。そして、「屈折率nの物質中では光の進む速度が1/nとなること」と、「光は進むのに最小時間となる経路を通るというフェルマーの原理」とから、スネルの式が説明されることは大学の学部で習うことだ。

  しかし、なぜフェルマーの原理が正しいのかということ、すなわち、なぜ光が屈折するのかということについては、きちんと習った記憶がない。このあたり、ファインマン物理第2巻の第6章「屈折率の本質」で非常にわかりやすく解説されており、これを読んで僕はずいぶんとすっきりとした気分になった。光の経路は、物質中の電子による光の散乱の重ね合わせによって決定される。すなわち、屈折率とは、実は光と電子の相互作用を表す値である。単位体積あたりに存在する電子の数が多いほど、そして、それぞれの電子が共鳴現象などによってより長い時間光と相互作用するほど屈折率は大きくなるのだ。ダイヤモンドはなぜ屈折率が高くて屈折率分散が低いのか、などということも、これによって説明できる。

  ところで、国語辞典では我が光の屈折よりも先に説明される「素直ではない感情」。たとえば「ライ麦畑でつかまえて」のホールデン・コールフィールドなどは、典型的な屈折感情人間だろう。多感で、大人社会にいちいち疑問を感じ、わざわざ人とは異なる(世間一般から見れば悪い方向の)生き方をしてしまうのである。裏を返せば、ホールデン・コールフィールド少年の心は通俗社会と非常に強い相互作用をするのだともいえるだろう。心の屈折率が大きいのである。一方、僕なんぞは、良い言葉でいえば素直とも言えるが、実態は、どうでもいいじゃないと受け流し、へらへらとしているから、こんなのは心の屈折率が低いのだろう。なんてことを考えてみれば、屈折の法則は物理の世界でも人間の世界でも同じようにあてはまるユニバーサルなもののような気もしてくるのだ。